
現在の細野峠 |
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細野峠は三和町菟原中(うばらなか)から大身(おおみ)へ
越える全長約2Kmの峠をさします。
平成八年十一月に文化庁により
全国歴史の道百選に選定されました
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ふるくから山陰街道の要衝として数多くの通行人があり
小式部内侍の「大江山生野の道の遠ければ
まだふみもみず天の橋立」にも詠まれているように、
大江山生野道にあたります。 |

細野峠百観音堂円通庵跡 |
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江戸時代には参勤交代の要路ともなっており、
福知山藩、宮津藩、出石藩などが通行しました。
元禄二年(1689)にこの地方を旅した儒者貝原益軒
は、「是よりほうその嶺(大いなる坂にて危なし)を越
菟原村を過、千束に至る、日既に薄暮なればここに
宿りぬ」と書き残しています。文化十一年(1814)に
第2次丹波測量をおこなった伊能忠敬測量隊の分隊
の一行もこの峠を二月十五日に越えています. |

龍源寺に移築されたは百観音堂
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細野峠の山頂付近、標高220mの地点には、
多くの通行人の信仰を集めた宝祚山(ほうそざん)
百観音堂円通庵の跡地が残っており、
道をはさんだ正面には茶屋がありました。
百観音堂は弘化元年(1844)十月に菟原中・龍源寺
住職良英禅師と地元有志によって建立されました。 |

百体観音像 |
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西国、秩父、坂東の100体の観音像が地元や飛脚中、
京都の商人などの寄進により安置され、道行く人の安全
を祈りました。
堂のカネノオの下には、西国、秩父、坂東のほかに四国
八十八ヶ所やその他札所や名所の砂が納められ、
ここにお参りしただけで、御利益があるといわれています。 |